くりくりまろんのマリみてを読む日々

瞳子と「演劇」を中心に⑦ 瞳子の原則・攻撃性との折り合い

第一に「性格」の問題として描かれているのではないか

瞳子というとまず目立つのが激しい気性です。あくまでその気になればですが先輩も半泣きにさせることができます。髪型などと違って眉というのは生来のものですから「気の強そうな眉」という描写は、気性の激しさを地のものとして持っていることを示していると思います。…反対に、挿絵などを見ると表情の問題とも言えますが祐巳の眉は確かに垂れ気味になっているような気がします。蛇足ながら祐巳の困ったような顔は味があっていいですね。
そして、もうどうにでもなれという自棄を起こして失調した状態ではありながら、殺伐とした頭の中の考えを度外視すれば「ジョアナ」での瞳子の言動は一面の正しさが確かにあります。理不尽で中途半端なことをぐだぐだ言う先輩に対してビシッと「だったら、あなたがエイミーをやれば?」…と、すがすがしいですね。そして、瞳子の方がはるかにうまくやれるというのも事実なのでしょう。しかしそれを真っ直ぐに主張するのは相手を傷つけ、自分も居場所を失うことになります。瞳子の抑制が外れた状態が示されているとすると、これは瞳子の「地」に近いものです。
ここで、マリみてできちんと書かれてきた当たり前ながら冷厳な事実を認めないわけにはいきません。人には生きづらい種類の性格というものが確かにあって、聖や志摩子がそうでした。瞳子も地のままではなかなか難しいのです。
また、こんなことも言えます。祐巳の中にいるような幼子ならば誰もが抱きかかえることができるでしょう。しかし、祐麒の見たような「幼稚園児」ならばうまく抱きかかえるのは至難であり、衝突を繰り返してしまいには罰せられることになります。「個性の強い」人というのが現実の姿になるでしょうか。幼くあっては遊び友達に怪我をさせ、長じてはふとしたことで親友と大喧嘩をして絶交したり、クラスから「個性的」であるため酷い苛めを受けたり。また、同じ兄弟なのになぜか片方は親から可愛がられないなど。大人でも「あの人は個性的だから」などと称して敬して遠ざかるの表現を取る場合もあります。…これらは例であって瞳子の過去がそうだったとはもちろん言いません。それに志摩子や聖のように、一定の年齢に達してから自分の動かしがたい性質に気付くこともあります。しかし瞳子もいくつかのできごとがあってボロボロになった人形のようになり孤独感や失望を深める一方、物事をそつなくこなす術を身に付けていったのかもしれませんね。
「血が濃い」故にいろいろな苦労を背負い込みやすい人瞳子はそんなイメージです。

瞳子の実感・厄介なのは人の「念」

それでは、瞳子自身はそのことについてどう思っているのでしょうか。「ジョアナ」では投げやりでしたがむしろ日頃は逆の態度であるように思われます。祐巳のように性質を野放しにさせておくということはできませんし、大変気を使っています。祐巳に対しては厳しく当たって来る印象が強い場面が多いのですが、それは祐巳に対しては地の部分が良く出ている、あるいは自分の攻撃性を先取りして表現することで折り合いをつけようとしているのだと解することもできます。気性の激しさに合わせて敏感さと慎重さも持っていて、これは祐巳が穏やかで鈍感で危なっかしいというのと対照をなしています。…ただ、祐巳が本当に鈍感であるのかどうかは少し考える必要がありますね。
そして敏感さというのは何かのことですぐ傷つくといった形で直接的に表われるのではなく、人の感情、とくに負の感情というものに対して良く注意していることと、その注意の向け方の繊細さに表われていると思います。「涼風さつさつ」では昼休みに見かけて祐巳が声をかけると、「よくない気がこもっている」と瞳子は言います。迂遠な言い回しであり、祐巳が霊感云々の話をすると。

瞳子ちゃんはしばらく黙って聞いていたが、やがて自分自身を納得させるように小さくつぶやいた。
「相手が人間だから厄介…。本当に、そうだわ」

ずいぶんしみじみとしています。具体的には可南子のことをさすとすぐに分かります。しかし可南子に対してこれだけの感慨を持つならば、自らに対する視線もあると思うのです。少しだけ汎化すると、人の感情・情緒の世界、そしておそらくは自分自身のそれに対する感想も込められていると言えるのではないでしょうか。
気性は激しくて感情は色濃く、それでいて情緒の世界に対しては慎重な態度をとっていて、その態度との関係は必ずしも明らかではないけれども空虚感も底に抱いているというのが瞳子ではないでしょうか。そこには自らが持っている攻撃性への恐れがあるのかもしれません。(どちらが優先されているかは分かりませんが)自分や他人を守り傷つけないためには攻撃性を宥めすかす工夫が必要であり、その工夫が瞳子の日常生活における「演技」です。瞳子についてもいくつか見ることができます。
・「ブリッ娘」というのは原初的でやりやすくて意味があるのではないでしょうか。瞳子乃梨子に出会って間もなく、目をうるませて大げさに泣いています。普通に泣いたら悲しいという感情は伝わりますが生の感情をぶつけることになり、困った状況になります。少し大仰に泣いて見せることで目的は達せられるのであって、ちょっとした演技ということもできます。
・「特別でない〜」でも困難な状況にある様子を少しも伺わせず機嫌良さそうにしているので祐巳は感心しています。ここで、喧嘩をして飛び出してきた雰囲気を漂わせていたら相当怖い「気」を発散させていたところかもしれません。
さらに、同列の話ではないのですがどうしても連想されるのが佐藤聖ですね。大切な相手を傷つけて遠ざけ自分も捨てられることになるような攻撃性は実際に持っているものですから無いものとすることはできません。そこで「一歩引きなさい」という忠告に従うことになります。瞳子の冷めたような態度は、この距離の取り方を連想させます。
そうすると日頃の原則としては、自分が騒ぐことで物事を引っ掻き回すことは厳に慎みながら状況をしっかりと見届け、必要なことだけきっちり済ませるという態度になるのではないでしょうか。「略してOK大作戦(仮)」ではこのような姿勢が何となく伺えます。
柏木氏を交えて「密談」しているところに突然瞳子は挨拶に現われます。柏木氏はこのとき、祐麒が祥子と結婚したらなどと言って持ち前の無神経さを発揮し、すっかり祐巳に「おばか」扱いされています。怒ってもさほど迫力の出なさそうな祐巳ですが、祐巳としては激怒の部類に入るほど怒っていたのかも知れません。このような感情を波立たせる話を引戸ごしに瞳子はしっかりと聞き耳を立ててすっかり把握していた…のかは分かりませんが、もし聞いていたとしたら瞳子自身も内心では随分言いたいことがある場面ではなかったでしょうか。密談の内容は祥子お姉さまに関することだろうと言い当て、会ったことを口外しないと言っています。不穏な動きがありながら、内容がほぼ安全だと思ったら瞳子は安心して何もしないことを選んだように思われます。祐麒は、瞳子の言葉を具体的な根拠なく信じていますね。
そして瞳子の姿の消し方が変わっています。

そのお邪魔虫の瞳子ちゃんはと言えば、祐巳たちが帰り支度をしている間に、また音もなくいなくなってしまった。いったい、彼女は何をしたかったんだか。

これではほとんど不思議ちゃんです。「帰る」と言ってから帰っても良いところ、場を乱さないという心得にやや偏奇、かつ過剰に従ったように見えます。…実際はある程度乱しているし、柏木氏への牽制にもなっていますが。
これらのことから、瞳子の可南子や祐巳への関わりなどについて考えてみたいと思います。

付記

よーすけさまからいただいたコメントで思いついたのですが、事情を良く知る瞳子は「一石を投じに」「テコ入れに」わざわざ顔を出した可能性が高いような気がします。そうすると両家の間を元気に飛び回る小悪魔のイメージがどうしても湧いてきます。瞳子が来たときには柏木氏の積極的な関与はすでになくなっていたのですが、これ以後思わぬ方向に話が転んで、ポコッと意外な結果になるところが面白いですね。
[▽続きます]