くりくりまろんのマリみてを読む日々

「特別でないただの一日」⑦可南子

マリみてでは時に深刻な主題が出てきますが、殊にここに出てきた話は自分が分析チックに述べるのはいかがなものかという迷いがあります。娘を持つ人や、逆に女性の立場からだったらいろいろ言って良いと思うのですが僕は若輩者だし。進退極まるのですが、考えたことをそのまま書くというのも意味があると思いますので臆せず書いてみようと思います。もし不愉快な思いをされる方がいたらごめんなさいです。

描かれた物語

話の骨子は、可南子の少し歪んだ父親像の回復がなされるというものでした。そして回復だけでなく、可南子が夕子を通し、母性というものを理解する端緒が開かれるという物語ではなかっただろうか、という見方で考えてみたいと思います。
可南子が父親を憎む理由は、無理やり妊娠させ、結果として夕子の人生を滅茶苦茶にしたのだという誤解によるものでした。それは夕子が男嫌いだったはずだということに基づき、父親の「悪さ」が強調されています。しかし端的に言えば、男の人から愛されて幸せに子供を生む女の人のイメージが、極めて希薄であったことがより深いレベルでの問題ではなかっただろうか、と思います。それは単なる思い違いとして済まされるものではなく、可南子がどのような状態にあったかを考える必要があると思います。

マリみて解題の試み」さま

マリみて解題の試みの冬紫晴さまは、可南子のことを考えるにあたり、

ずっと気になっているのが、彼女の家庭環境で、その中でも忘れられがちな、お母さんのこと。これを考えてみましょう。

と、母親を視野に入れた考察から入り生活史の再構成をした上で、《彼女が抱えていた矛盾と罪悪感の可能性》で「涼風さつさつ」での可南子の様子について考察されています。また、マリみてTTのBBSのスレッド《№59:次子ちゃんの誕生日(および夕子さんが妊娠した時期》で、可南子の思い違いの核に関わる前後関係についてワトソンさまと話し合われています。主観と客観とを入り混じらせない、緻密なお二人の考察には感心します。

夕子と出会う前・矛盾する気持ちの苦悩

可南子の言葉の端々に、愛着と憎悪の両極端な感情が共にあることが分かります。それは父親に対してもそうですし、母親に対しても潜在的にそうなのでしょう。しかも、人生の相当な早期から次第に膨らんでいったものではないだろうか、とも思います。
それは、ごくごく単純化して言えば、父親を傷つける母親の像と、母親を傷つける父親の像を、共に愛着の対象であるが故に共に憎まなければならなかったことに由来すると言えるでしょう。それぞれに、良い父親と悪い父親、良い母親と悪い母親の像が競合しています。ただ憎悪すれば済む対象ではなく、愛着を同時に伴っているから苦悩になるのだと思います。強いアンビバレントな状態が可南子の内心に既に準備されていたのではないでしょうか。

父親について

少々処世の点で不安のある不甲斐ない父親を可南子は責めています。道楽でしかないことに熱心だというのは、母親が父親を見る目ではなかっただろうか、と思われるところです。そして経済的なことについてはやはり母親に負担がかけられているというのは、いくら仕事が生き甲斐とはいっても、母親を苦しめているようにも解せます。
しかし同時に、コーチをしている父親の姿というのは可南子にとってとても良いものでした。そして夕子がすぐに相談することを思い立ったのが可南子の父親であるというも、単に似たような事情があるからというだけでなく、弱った人にすぐに手を差し伸べるような人物であることを示唆しているのかもしれません。夕子はすてきな人だったから好きになった、と迷うことなくと言っています。相談しにした結果、悩みを何らかの形で十分に受け止めることが可南子の父親にはできたのでしょう。そしてそのような父親の一面を、可南子はある程度認識していたのではないでしょうか。

母親について

意識してかせずか分かりませんが、可南子は母親に対する恨み言、あるいは心残りを述べています。育児のために仕事を辞めたくないという希望、仕事上のストレスを父親にぶつけていたこと、毎晩お酒に逃げること。あまり勝手に想像を広げるのは良くないのですが、家庭的な情愛に少々欠けた、カサカサした印象の人を思い浮かべます。少なくとも可南子にとって、随分ネガティブな暗い面を持っているということは言えるのではないでしょうか。「育児」というのが何歳くらいまでのことを指しているのかは不明ですが、遡った年齢についてまでの言及とすると可南子も随分昔のことにまで心残りがあるではと思われます。そして、父親を遠ざける母親のイメージというのは、とても強烈なものだったと思います。
でもはやり、可南子は母親に対する慮りを忘れているわけではなく、学園祭の券について気を揉んだりしていますね。

夕子と出会ってから

さて、夕子は二歳年下の可南子を本当の妹のように可愛がります。これは、娘のように可愛がったのだと置き換えてもあまり違和感の無いものだったでしょう。(リリアンの内部で描かれるスールというのは、象徴的なレベルでは別として、可南子と夕子のような関係としては捉えづらいものです。)
そして父親を喪いかけているという点は二人の結び付きをより強固にしていたと思われます。可南子は父親の出て行った事情を良く理解しています。しかし「父親に捨てられた」という感情は、少しはあったかもしれません。
夕子の「男なんて必要ない」という主張は、可南子にとっては、父親を遠ざける母親の姿に重なったと思います。ニュアンスや由来は大分違っているかもしれませんが、やはり可南子にとって母親のイメージというのは無視できるものではなかったのではないでしょうか。(この点コメント欄で有芝まはるさまが「夕子に対しては『本当は得られなかった理想の母』的な幻想があったのかも」と述べられていますが、)そんな夕子が可愛がってくれるというのだから、可南子はとても嬉しかったのだろうと思います。今まで望んでいながらも余り得られなかったものがあったのではないでしょうか。[▽続きます]