くりくりまろんのマリみてを読む日々

細川可南子の謎

慣れないことですが、SSを書いてみました。
細川可南子は、登場以来、謎の多い描かれ方をしています。その中でも一番の謎である、なぜ祐巳とのツーショット写真を欲しがったのか、ということについての推測をまとめたものです。では、はなはだ拙いものをどうぞ。


祐巳さまは、祐巳さまなんですね》
「ここで撮っちゃってもいい?可南子ちゃん」
舞台の袖にいるところを見つけて、声をかけた。学園祭の片付けも大分終わった。今まで随分きちんと仕事をこなしてくれたし、瞳子ちゃんともまずまず協力している。蔦子さんをつかまえて、一緒に連れてきているのだ。
え、と大きく見開いた目は蔦子さんの首から下げたカメラを捉え、可南子ちゃんはすぐに事情をのみ込んだようだった。蔦子さんはカメラを軽く構えるポーズをとって、にっこりした。人を安心させるのがうまいといつも思う。
「わざわざ、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げた可南子ちゃんは、少しだけ弱々しく見えた。
祐巳さんとのツーショット写真をご希望だそうで」
蔦子さんは、気さくに話し掛けた。
「なんでまた?」
「ずっと、祐巳さまは何で私に構うのだろう、と思っていました。温室で一度は、祐巳さまを責め苛んだのに。私と関わらなければ、つらい思いをすることもないのに。大好きなお姉さまと一緒にいるんだから、余計なことはしなくたっていい。何ておめでたいんだろう、って。」
おめでたい、と言われるのは何度目かな。でも自己満足と言われるかも知れないけど、あのまま放っておくのは嫌だったのだ。
「あらあら。紅薔薇のつぼみも、散々な言われようね。」
蔦子さんは面白がるばかりだ。
「不思議な気持ちになりました。私の近くにいる祐巳さまって、本当は一体どんな人なんだろう。写真に一緒に写れば、見透かすことができるかも知れない」
私は私だし。そんなこと、うまく説明できることだろうか。でも、可南子ちゃんのそばにいることは、揺ぎない事実だ。ここ数週間で分かってくれているとは思うけれど。これはちゃんと伝えたい。
並んでみたら、やっぱり身長差が目立った。でもそんなことは全然関係ないことだ。
「私は、ここにいるよ。それは確かなことだから」
そうだ、手を繋ごう。可南子ちゃんの肩が、微かにぴくんとした。
祐巳さま?」
この手の冷たさ。誰かを思い出す。そう、いっときも忘れたことのないお姉さまだ。
曲がったことが嫌いで、潔癖症で、そしてすごく純粋で。でもどこかに寂しさを秘めているから、ときどき悲しくなるのだ。
フラッシュが閃いた。
可南子ちゃんに私が何かして上げられることはあるのだろうか。
そんなことを考える暇もなく、向こうの方からお姉さまが私を呼ぶ声が聞こえた。何か大事な話があるらしい。
じゃあね、と二人に軽く手を振って別れたけれど。
可南子ちゃんの視線が、背中に貼り付いているような気がした。-Fin.-


陰気な印象を与える可南子の行動は、「マリア様がみてる」の主要な登場人物の中では際立っています。最初の出会いを祐巳は忘れていたことや、可南子の男嫌い、長身・長髪という特徴は祥子を連想させ、何かの寓意があるのだろうか、と考えさせられてしまいます。
過剰に祐巳を理想化し、誉めちぎっていた可南子の幻想は、一旦祐巳のはっきりした否定によって打ち砕かれます。ここまでだったら一つの事件で終わってしまうところですが、祐巳のほとんど特異ともいえる行動力が発揮されることで、興味深い展開がされていきます。
作品では武嶋蔦子の活躍により、写真が話の展開の鍵を握っていることがあります。蔦子は写真を撮られていることを知らない人物の何気ない表情の中に、何らかの発見があるとしているようです。では自ら映ることを望む者は何を求めるのでしょう。
以下は全くの憶測です。へこたれない祐巳に、可南子は意外性を覚え、人間的な興味を少し抱きはじめたのではないか。全く興味の無い相手と化してしまうところ、何か違うものを祐巳が持っているのではないかという予測を抱いたのではないか。そして、祐巳の賭けの申し出の機会を捉えて、これを明らかにできるような方策を思いついたのではないか、と思います。なお、可南子には自分の側の賭けの条件を考える充分な時間がありました。
普通ツーショット写真というものは、親しい者の間の親睦の印や記念を意味します。しかし可南子が条件を考えていたとき、そこまで祐巳に近づきたいと思っていたかは少々疑問です。少し見方を変えて、崇めたことの反動でもあるかのように、祐巳と肩をならべてみたかったのだするのも早急に過ぎるのではないでしょうか。
写真は現実の引き写しでもありますが、後で見直すと普通には気付かない別の事象も明らかにするものです。また、複数の人間が写っていた場合、その複数の人間同士の「関係」が見えてくる、あるいは見ようとするのが普通です。生身の祐巳をある程度知りながら偏った幻想や期待を持っていた可南子にとって、写真は現実の姿に近い祐巳を捉えるための手段だったと考えるのはどうでしょう。
[▽この項おわりです]