くりくりまろんのマリみてを読む日々

ジョアナ④

第4章「重荷」はそれぞれが持っている悩みや希望を中心に書かれ、四姉妹のプロフィール紹介といった意味合いが強いところで、ベスの「人形」についても詳しく書かれているところです。

ベスは人見知りが激しくて学校へは行っていなかった。行ってみたことがあったがあまりにも辛そうなのでそれは諦めて、家で父親に勉強をみてもらうことになっていた。父親がいなくなり、母親が軍人援護会に精魂を傾けなければならなくなってからも、ベスは堅実に一人で勉強を続け、できる限りのことをしていた。ベスは子供ながらも家の切り盛りが得意で、ハンナ*1を手伝って、働きに出ている家族のために家をさっぱりと快適にするようにしていた。しかし何かの見返りを望むのでもなく、かわいがられるだけで満足していた。
長く静かな日々だったが、一人ぼっちでじっとしていたわけではない。彼女の小さな世界は想像上の友達であふれていて、そこでは働き蜂のように忙しかった。ベスもまだ子供で、通例通り自分のペットが大好きだったので、毎朝六体の人形を抱き上げて服を着せてやらなければならなかった。これらの人形のうちに五体満足で見映えのするものは一つも無く、ベスが引き取るまでは打ち棄てられた存在だった。姉たちが大きくなってこれらの人形が要らなくなったとき、エイミーが古くてみっともないものを持ちたがらなかったのでベスに回されたのだった。
そのような事情もあって一層ベスは弱った人形たちを大事にし、病院を作った。木綿でできた体にピンを突き刺したことはないし、ひどい言葉をかけたりぶったりしたことも一度もなかった。最も醜いものに対してもほったらかしにして悲しませるようなことはなかった。尽きない情愛をもって皆を養って服を着せ、看病しながら可愛がっていた。
この中で一つ見捨てられた人形の残骸があったが、以前はジョーの持ち物で、波乱万丈の生活を送ったあげくぼろ入れの中に破損物として放置されていた。そのわびしい救貧院の中からベスが救い出して自分のところにかくまったのだった。
頭部に髪は無かったのでこぎれいな帽子をかぶせ、四肢もみんな取れてなくなっていたので毛布で覆ってそれを隠し、この癒えることのない病人に最も良いベッドを提供した。

ささやかで、しかし同時に切実な話

ここでは名前は出ていませんが、その特別な人形の名がジョアナ(Joanna)であることが後の方で分かります。残骸(flagment)とされているように、もはや原形をとどめていないほどの状態になっています。新鮮な空気を吸わせるために外に連れていったり、本を読んでやったりと、特にこの人形をベスは良く面倒をみているのですね。
人形というものはいろいろと豊かなイメージを起こさせるものですが、特にジョアナというのは陰惨と言えるほど否定的なものです。繕いようもないほど壊れていて、見捨てられています。祐巳に手を差し伸べられたとき、瞳子は一瞬ジョアナを自己のイメージとして重ね合わせ、すぐにそれを否定しています。傷ついていることと見捨てられていることのどちらに一層重きが置かれているのかは分かりません。
「やさしい手」はいらないと思い、なかなか素直に祐巳の差し伸べる手を握り返すことができなかったということからは、傷ついた自分(あるいは、傷ついた自己像)とどう関わるのか、そして他の人は傷ついた人とどう関わることができるのか、といった話が展開されていたのだと思います。それは必ずしも今回始めて出てきたものではありません。
この場面で最初に想起されるのは、二つのことです。

無垢なやさしい手を持つベスと祐巳

とてもささやかでありふれていながら、しかし考え出すとなかなか難しい事柄が述べられているのではないだろうかと思うのです。何の見返りも期待していなければなおさら、そしてそれが真に必要であるほど「やさしい手」と表現されるような、無垢の好意を素直に受け取るというのは瞳子ならずとも難しいことなのではないでしょうか。人それぞれ、その場の状況に応じてとしか言いようのないものですが。何かお返しをしなければと思ったり、微かな屈辱感を感じたりするかも知れません。さらには断固として断ることもあるでしょう。通常は互いの立場を前提としていたり、有形無形の見返りがあってギブ・アンド・テイクの図式が成り立っていたりします。一方的であっては不安を感じ、いろいろなはからいをする。極論すればそれが「大人」というものであって一方的に補充を受けるだけの立場は幼子だけなのであろうと言えるし、一方的であっても全く疑問を感じなければ甘えているとして非難されてしまうかも知れません。
それは「涼風さつさつ」で祐巳が感じた「もらいっぱなしの立場というものは世の中で成立するのだろうか。」という疑問につながるものでしょう。その答えは未だはっきりとは示されていません。
この点、祐巳はかなり上級生としての立場を意識し始めていて瞳子について実際に相談を受けたりはしています。また、劇を是非見てみたいという祐巳にとっての楽しみが用意されていたことも考慮に入れる必要があります。しかし瞳子との「姉妹」の関係を視野に入れていたわけではなく、瞳子に直接期待するものも無かったようです。祐巳はあまり人に求めたことがなく、それ故「妹」をどのように見つけたら良いのかも分からないのではないかと思われるところがあります。(ベスのような献身的な態度とはかなり様相は違っているのですが)たぶんそれが「打算の無さ」であり、人形に対するときのベスが持っている無垢性と通ずるものとして捉えられたのかも知れませんね。

直面するのは難しい

さらに、手を差し伸べられると傷ついた自己像に直面せざるを得なくなるということが言えます。…そのニュアンスは中島みゆきさんの歌『瞬きもせず』の一節「触れようとされるだけで痛む人は 火傷してるから」が良く伝えていると思います。(瞳子の怒ったような態度は、何となく「困惑」している様子のようにも見えます。)これは周囲の思いの他にあるもので、「ジョアナ」の姿は痛ましいものですがおそらく祐巳瞳子の傷付きや失望は知りません。
瞳子は今までも差し伸べられた手を拒絶することがあって、それは傷付きを回避するためのものでもあって一つの姿勢となっていたのかもしれません。あるいは誰も顧みなかった人形を救い出したのがただ一人ベスであったように、めったにそのような人物は近くにおらず、その点が祐巳がベスになぞらえられているのかも知れません。
すると「この人は、何を言っているのかしら。」というような感慨をもたらす祐巳の提案の過剰さ、「良く寝て〜」云々というあまりにも具体的で指示的な内容は、むしろ瞳子にとって救いではなかったかと思われます。瞳子の本当に必要なことを一面では満たしながら、微妙なズレ具合があったことによって瞳子は自ら行動を起こすことができたと思うのです。瞳子に対する祐巳の関心の向け方が、例えば祥子に対するときの水野蓉子が持っていたような怜悧さを備えていたとしたらなかなか耐えるのは難しそうです。
人に手を差し伸べるとき、さらに傷つけてしまうことは案外多いのかも知れません。ベスが決して人形たちにピンを刺すようなことはしなかったように、祐巳瞳子を傷つけることは無かったようです。

*1:マーチ家のお手伝いさん