くりくりまろんのマリみてを読む日々

「イン ライブラリー」表紙② 姉離れ・妹離れは問題になるのか

いろいろな連想をします

イン ライブラリー」の表紙絵を見た印象は人によってだいぶ違うのではないかと思います。今までの表紙の中でも特に想像を湧かせるものがありますね。ときどき絵を見て悦に入ったりしております(ぇ。
大雑把に、代表的と思われる印象を想像してみました(見た目の印象なので物語の実際の筋からは離れてしまうようなものかもしれませんが)。
①ほのぼのした様子が良い。祐巳と祥子はやっとここまで来たか、と思わせられます。祥子の表情は柔和で、ぎすぎすした厳しさを漂わせてはいません。僕の印象もこれに近いです。
②うたたねというのはものの譬えではあるのですが「サボリ」に通ずるものがあり、状況によっては歓迎されないものです。祐巳は祥子の隣に安住しているようにも見え、変化することへの消極的な抵抗、あるいは逃げを表しているのかもしれません。この様子では当分「妹」は祐巳にできそうもないなという方は、このような意味合いも見ているのではないでしょうか。
変化というのは、それが良いものであってもいくらかの負荷がかかり難しいものです。「特別でないただの一日」のラストで述べられた難しさには、祐巳に固有の難しさがあるのでしょう。でも同時に、心の持ちようを変える、ものの見方を変える、集中する対象を変えるといったことに伴うより広い意味での難しさも込められているのではと思います。祐巳もこれまで、三年生が卒業していなくなってしまうことをなかなか受け入れ難かったり、薔薇の館のメンバーはこのままでいいのではないか、と思っています。
③逆に、目が覚めるとそこには…ということで、何か新しい世界や認識への導入とも見ることもできます。ドキドキです。
さて、特に②の見方からは現在の祐巳と祥子はくっつき過ぎであり、「妹をつくりなさい」とはそれに対する注意であり突き放しなのではないかと言えそうです。しかし、このシーンについてはかなり肯定的な見方もできます(この点はこちらでも少し触れました)。うすうすとは分かっていたこと、あるいは望んでいたことが「特別でない」という祥子の言葉を通して意識化され、それによってもはや祐巳は「チャオ ソレッラ!」での場面のように別れる日のことを思ってめそめそと泣く必要はなくなったのではと思います。もうすでに、祐巳は祥子とのつながりを内在化させ、しっかりと自らの内側にあるものとして認識し始めているようです。別れる日のことを気にする祐巳というのはそれ以前にも出てきていますが、祥子の卒業の日まで延々と持ち越す問題ではなかったのかも知れません(いやそれは少し早計だろうという声も聞こえてきそうですけれども)。
祐巳にとっては不意打ちだった「妹」への布石は、安定を得たという点に限ってはすでにしっかりと打たれているのですね。それはどちらかというと厳しい自立の道を迫るものというよりは、よりよい依存、あるいは依存のありかたの深化という形をとっていると思います。祐巳たちの辿っているのは確かに成長の道です。しかし同時に強くはなりきれないこと、そしてそれでもよいことを示しているように思われます。
「姉」としての成長や「姉妹」間のつながりが「マリア様がみてる」では中心的に描かれています、しかし「妹」から「姉」への変容という話は、考えてみたら今まで中心的なものとしては出てきていません。おそらくそれは祐巳由乃が担う物語なのでしょう。