第四話「WiLL」

卒業前の薔薇様である、水野蓉子佐藤聖に、祐巳が個人的に名残を惜しむ様子が描かれています。
ある種の気付きが祐巳にもたらされ、今後の見通しを暗に示しているところに奥行きが感じられる話です。
薔薇様三人は総じて物事の見通しが良く、祐巳へかける言葉の端々に含蓄があるのが魅力的です。これと対照的に祐巳は、いわば鈍感さの魅力を持っています。殊に、自らの美点に対する鈍感さには決して人を傷つけない優しさがあります。この対比の心地良さが、第四話では良く出ていました。
蓉子に抱きつかれ、ミルクホールに攫われるように連れ込まれた祐巳は、最初その意図がのみこめていません。言い遺すこととして、いかに祥子のことを気にかけているか、そして祐巳にも期待するところが大であるかが率直に語られます。この率直さは薔薇様としての風格を増すものであり、祐巳も蓉子の気持をひしひしと感じ取ったことでしょう。しかし、勘が鋭いという称賛の言葉を取り違え、心の中で否定しているのは愛嬌というものでしょうか。日常の文脈でいうところの勘の鋭さとは少々異なり、例えば祥子のような、難しいところのある人間の心も掴むような心の動きが祐巳にあることを指していると思われます。これは祐巳の普段の鈍感さと表裏一体のものなのでしょう。そして、祥子をよろしくという言葉の中には、単に祐巳が祥子から薫陶を受ける立場にあるのではなく、祐巳が祥子にもたらすものも大きいことが既に示されています。物語の大きな流れを示唆するものですが、祐巳にはあまり腑に落ちないのは当然のことかもしれません。
遅れて皆のいるところに行くと、案の定祥子の叱責が待っていました。それを予想して祐巳は最初から平謝りをしますが、蓉子に呼ばれていたと知ると、祥子は急に攻撃の鉾を納めます。直後に入る令のフォローは気が利いており、令がいかに細かい気働きができるかが知られます。
由乃から、めいめいが別れを惜しむ儀式をしているのだということを聞き、たちまち聖のことが気になるのは、今まで聖に依存しきっていたことを示すのでしょうか。ここで祥子は責められるべきではありませんが、未だに素直な情愛を傾けられていない傾向はあります。祐巳との関わり方は、聖の方が一枚も二枚も上手のようです。
折りよく一人教室にいる聖を見つけると、祐巳は何か言い遺すことは無いのかと熱心に尋ねます。聖の応えはにべもなく、初めから自分で行動を起こすようならもはや言うことはないし、逆に頼まれて動くような人にも何も頼まないので結局何も言うことはないのだ、という理屈でした。すべからく自主性を重んじるべしという、これまでの聖のありかたを彷彿とさせる話です。このとき聖は祐巳が人に手を差し伸べずにはいられない人間であることを知って言っているのですから、祐巳は喜んでもいいはずです。しかしそんなことには頓着なく、なおも言い募るのには何かに憑かれたかのような必死さが窺えます。
この必死さから感じ取るものがあったのか、聖は無理難題を持ちかけ、唇に餞別の接吻をするようにと、祐巳に迫ります。すわ危機一髪という、喜劇風の場面になるはずのところですが、ここで観る者の期待は見事に裏切られます。
魔の手から一旦逃れた祐巳を無理に追い掛けようとはせず、心残りで卒業できない、と洒脱に笑う聖の手管は実に巧妙です。決定権はたちまち祐巳の手に渡り、考える時間が与えられます。祥子に似て義理堅い祐巳のことです。このとき祐巳は義務の念に動かされ、感謝の気持ちを表すための、突然与えられた最後の機会を捉える覚悟を決めたとも取れます。
しかしここでは、祐巳は聖の言葉をきっかけにして、心残りで寂しいのは聖だけではなくむしろ自分もそうであることに否応なく直面したのでしょう。祥子の「妹」になってからは充実した日々ではあったが、やはり絶えず緊張を強いられ、導いてくれる者を必要としていました。卒業を期に聖を失ってしまうのは、大変な寂しさです。これは既に薄々とは気付いていることです。志摩子について、お姉さまがいなくなってしまう寄る辺なさを慮り、懸命にどこにも行かないでと訴えたのは喪失感を持つことの苦痛を既に共有していたからです。
一瞬逡巡した後、魅入られたように聖に駆け寄る祐巳の真剣な眼差しは、自らの心のありようを明確に自覚し、戸惑いながらもそれを受容していることを物語ります。気恥ずかしさなどの諸々のしがらみは全て遠景に退き、聖の頬に口付ける刹那は、甘美という他ありません。それを受け止める聖の落ち着きぶりは祐巳が自分を慕っていることを知り抜いていることに由来し、強い自信が感じられます。唇ではなく頬を選んだのは妥協の結果とも取れます。しかし同時に、対等な恋人同士のものとは違い、頑是無い幼子が保護者に対してするものを連想させるものです。聖に対しておよそ受身であった祐巳が最後に自ら積極的に甘えに行き、聖もそれを望んだのだということの表現とすると、このときの気持ちに一層沿ったものと言えるのかも知れません。
清水の舞台から飛び降りた祐巳に報いて、今度は聖が、祐巳に対する強い憧れの気持ちを打ち明けます。祐巳の存在が聖にとって極めて大きなものであったという話は意外性をもって受け止められ、単に可愛がられるだけの存在ではなかったという転置の構造がここでも現われます。蓉子と同じく、聖の率直さにはすがすがしさが感じられます。もっともここは、じゃんけんで後出ししたあげく、あいこにしたという感もあって面白いところです。
別れ際に聖は、自分と離れ離れになることに向かい合うのが嫌で進路先を尋ねないのだろうと言って追い討ちをかけます。愛してるよという言葉に対しては、誰にでもそう言っているのだろうと精一杯の切り返しをした祐巳ですが、既に全てを見抜かれており、認めざるを得ないことでした。
祐巳を見送った後、聖は感触の跡を確かめるようにそっと頬を撫で教室を去ります。祐巳の背を押しやったのは、祐巳の自分からの分離を促すものであると同時に、前へ進むようにという願いの表われなのでしょう。さまざまな苦闘を経て、高校生活の最後に得たものは自分を必要とする者からの敬慕の印でした。
後に志摩子から、聖はリリアンの大学に進学することになっていることを聞いた祐巳は騙されたと怒り、わざわざ聖のいる教室までねじ込みに行きます。もしそれを知っていたら、接吻という形での告白などしなかったのにという、恥ずかしさの感情に改めて浸っています。しかし、その怒りの中に隠された甘えの気持ちに聖は釘を刺し、やはり蓉子や江利子と同じように、遠くへ行ってしまうことに変わりはないのだと諭します。いくら慕わしくともこれからは一定の距離をとらざるを得ないことは一面の真実でした。
ここに至ってやっと、祐巳は安心と自立の覚悟とを共に抱き、もう卒業してもいいよ、とはっきりと心の中で言うことができました。聖がリリアンにどどまることを祐巳が最初から知っており、頼れる者を失う痛みを体験しなかったら、不可能なことだったのでしょう。
いつまでもこうしてじゃれ合っていたかったと言う聖と痛みを分かち合い、次に安堵して緊張が解けたところで現実の状況が見直されました。聖が自分からは決して言わなかったという「不作為の作為」は、かなり意図されていたようです。そして、自立ということは当面の間の祐巳の課題となるものでもあります。
聖がどこまで深く考えて祐巳に対していたのかは、想像するしかありません。しかし、祐巳が本来両立しがたい二つの気持ちを並存させるに至ったのは、祐巳の底力を推測させるものであるのと同時に、聖の並々ならない手腕と思いやりを示すものではないか。その点志摩子に対しては何もしておらず、祐巳ならずとも気にかかるところです。私は甘えるのが下手だから感謝している、と何の衒いもなく祐巳に言う志摩子には健気さと潔さがあります。しかし一抹の寂しさも感じるのは禁じ得ません。
一つの納得を得た祐巳は急な階段を元気に駆け上ります。そのうしろ姿は陽光を浴びているかのように眩しく輝き、行く先には明るい成長の道が開けていることを確信させられます。

ちょいと一言

・聖と祐巳の関係は、大まかな流れや会話の多くが原作に沿っています。にもかかわらず、アニメで推測される祐巳の内心と原作でのモノローグに見られる内心との間には大きな差があります。原作では祐巳は聖に対して明らかにウキウキと時めいていますが、アニメでは分離との直面という主題が前面に出ているようです。換骨奪胎がされたとまでは言いませんが、再構成の面白さがありました。
・ピアノ・ファイアさまのところ〔id:izumino:20040620〕で、聖と祐巳の関係やマリみての「姉妹」関係の深層について興味深い指摘をされています。

■次回予告