瞳子と「演劇」を中心に⑬ ― 重ね合わされていた影

自らの外に重ね合わされていた?ジョア

感情との向き合い方という点に焦点を当て、どのように描かれてきたのかを見たいと思います。
ジョアナ』は瞳子の内心の独白という形で綴られており、異型のものでした。表題になっている人形「ジョアナ」は重要な意味を背負っていると思われるのですが、「若草物語」を読むと、「寂しさ、見棄てられ感」という感情を一身に担って具象化したものであろうことが分かります。(抄訳などはこちら。ジョアナ①, , , )
ここで、瞳子は私は人形ジョアナではないから、と一瞬思い浮かべ、すぐに否認しました。少し現われてた後にたちまち消えてしまう、極めて受け入れ難い感情であることが分かります。この前の段階は何かと考えると、抑圧(あれども無いが如くに扱う)ということでしょう。
瞳子は感受性の豊かさと言い換えても良い敏感さを持ち合わせていることが示されています。また、時に少々偏奇な印象を受けるものでしたが、いろいろな人物と積極的に関わっています。そこでこんな風に言えるのではないでしょうか。抑圧が完全に成功しているうちはその感情は自らの内にではなく、他者の上に強く投影・投射されて感じられていたのではないだろうか、そして次第にそれは自らの内側に少しずつ引き寄せられるようになってきたのではないか、と。同じような心象が、他者に対するイメージから自己像へと移ってきています。
書かれていることと想像を織り交ぜ、次のようにまとめてみました。

時期 自己像 寂しさの感覚 周りとの関係 演劇との関わり
パラさし」まで 平穏 極度の外在化・他者を見たときのみに感じるもの 強い働きかけ 選択と試行
ジョアナ」まで 揺らぎ 何とはなしの違和感 やや孤立化 演劇を通しての自己沈潜・集中
ジョアナ」以降 再体制化 自らの内のものとして受容しつつある状態 防衛的 より幅のある状態

乃梨子へ寄せる熱心さ

チェリーブロッサム』を読むと、乃梨子の人を寄せ付けない雰囲気が瞳子には放っておけないものに感じられたのだと思います。そして同時に乃梨子に対する無力感をも感じられます。特に「こんなに思っているのに」とぽろぽろと泣くところです。
あまり相手にされていないということに対する悲しさというのが描かれている箇所は、祐巳についてもありました。受験の準備で忙しい蓉子のことを気にかけていたため祥子が祐巳の方をあまり見ていなかったときの、「カサカサ」と荒んでゆくような気持ちです。およそ祐巳は好きということにおいて極めて立ち位置がはっきりしており、磐石です。好きな相手から絶えず補充を求め、叶わなければ寂しく思うような気持ちと言えますし、時に独占欲も顔を出すものです。
しかし少しだけ瞳子のものは違うようです。対象自体が持っている寂しさに感応し、これにつれて自分の寂しさの気持ちがわいて来るというニュアンスが感じられます。このとき乃梨子はありがた迷惑の体であまり寂しいという自覚はありません。本人よりも過剰な気持ちであって、まるで身代わりのようになっているようです。
その後の瞳子の振舞いはひとえに乃梨子を薔薇の館に送り出し志摩子と結びつけるためのものでした。これは端的に言って、自らがベスの役になりかわり寂しい人形を拾い上げるような努力だったのではと思われます。
乃梨子が遠くに行ってしまうという寂しさ、あるいは自らが薔薇様にという気持ちより遥かに、乃梨子の寂しさを埋めることに注力されています。成功した後の瞳子の満足そうな様子が印象的です。

祥子に対する無力感・どのように構ってほしかったのか

さてそうすると、祥子との間柄はどうなっていたのかということです。不明な点が多いのですが似たような機制が働いていたのではと思うのです。
祥子は長い間、いつも何かに怒っている、見えない何かと戦っているという凍てついたような心象の中にありました。そしてそれを苦痛とも思わない失感情症のような状況に近かったのかも知れません。これも「人を寄せ付けない」雰囲気です。幼少の頃からとすると相当根の深いものといえましょう。(『answer』での「私は何かかけてる部分があるようなので。それを何かで埋めたい」での「何か」は、祐巳との母性をめぐる結びつきで十全に充足されていくのですが…これは後の話です。)
そこで瞳子 瞳子と演劇を中心に⑩で述べたように、祥子本人よりも痛ましいような感覚におそわれ、何とかしたいという焦燥感に駆られたあげくいつも祥子にくっつこうとする可愛らしい妹のようであろうとしたのではないかと思われます。「親戚」と薔薇の館で言い張る瞳子は、実の妹のような存在だと印象付けたかったのかもしれません。これは祐巳が思い描くような「大好きな祥子お姉さま」というのとは、かなり様相を異にしているのではないでしょうか。
「構ってくれなくなった」という表現を考えると、単にへりくだっているだけとも思われますがあまり相手にされていないことを初めから知り、認めているような印象もあります。だからこれから頑張る、というよりも諦めの気持ちが既に込められているようです。

瞳子祐巳レイニーブルー

すると祥子のまだ見ぬ「妹」に対しては、どちらかというと期待感・仲間意識が強かったように思われるのです。…そして祐巳を自らと同じタイプか、と思っていたらかなり違っていたという意外性が「おっかしいんだもの」という発言に繋がっているように思われます。祐巳がショックを受けた祥子のやさしさというのは、やっと瞳子が引き出し得ていたものなのかもしれません。そして、「妹」というのは一方的に押しかけているような瞳子とは違い、仮にも祥子が選んだものです。乃梨子志摩子の後押しをしようとしたように、できれば祥子・祐巳の関係の後押しをしようとしていた可能性も高いと思います。
薔薇の館に現れたときの瞳子は、あまりに無防備でリラックスし過ぎ、といったところに尽きるでしょうか。
瞳子の暮らし向きは、祥子ほどではないが相当のお嬢様というのが適切なようです。ある程度の押しの強さ、ずうずうしい感じがあれば祥子に近づくことが可能です。そのような態度の延長上で薔薇の館に現れたこと、「お姉さま」という呼称、由乃の「姉」を狙う下級生という連想、諸々が重なって誤解のもとになっていったのではないかと。
瞳子の祥子に対する無力な感じというのは、ドライブをせがむが祥子に窘められるといったところに端的に表れていると思われます。ほかにさして正当な理由は見当たらず、しかし祥子を放っておくわけにもいかないといった焦燥感があったとすれば何か悲しい感じがします(この点、瞳子はさほど小笠原家には入り込めない立場なのではという忖度もしますが、それはまた別の話です)。大変なことが積み重なり、また以前のような祥子に逆戻りしてしまったと思ったのかもしれません。
このような内心の布置があったとすれば、瞳子にとっては自らの立場は度外視しても祥子こそが見捨てられてはならない存在だったでしょう。しかも自らの無力さもひしひしと感じていた(自分では人形を拾い上げることができない)としたら、祐巳しか祥子を支える人物がいないと言えます。…ただ自分自身が仲違いの一因になっていることをどう感じたのか、またいつ気付いたのかは不明なところです。愕然とし、かなり反省もしたと思うのですが。
さてそうすると、聖の胸に顔を埋めて祥子を拒絶するというのは祥子を見捨ててしまうことであり、ミルクホールでへらへらと笑っているというのは、もうそれで良いと祐巳が思いを決めて確定的にしてしまったという極めて許すべからざることだったのでしょう。
「見損ないました」という言葉には、大きくかけていた期待を裏切られたというニュアンスが感じられます。

瞳子退場

中庭での「私たちは、仲はよくないんです。それでいいんです」と言う場面は、印象的です。「私たち」という呼称や内緒話のように囁くというところからは、怒りとは相容れない親密な雰囲気が漂っています。何かの間違いが無ければ瞳子祐巳は親密な仲間のようになれたのではないか、しかしもう今となっては仲が良くないとしておいた方が都合が良い、という含意が感じられます。
「精神衛生上悪い」「違ーう」と言って薔薇の館から逃げ出す様子からは、祐巳に対する信・不信の気持ちの間で揺れている様子が伺えます。祐巳は本来は極めて頼りたかった対象であったが、しかしそれはもうできなくなったのだと思われます。
その後は祥子のことは祐巳にまかせ、しかし遠巻きに、不器用に心配をするという形が出来上がったようです。
[▽続きます]