姉妹制度の知恵③ ― マリみての心性は重層的

前回、母性などという言葉を持ち出し、だいぶ違和感を持たれた方もいるかもしれません。あるいは今更当たり前のことと思った方もいるかも知れません。誰もが容易に了解できるようであると同時に全てを語ることは到底不可能な大きな概念ではありますが、マリみてではどのように描かれているのかを姉妹制度の意義も織り込みつつ、考えていきたいと思います。

重層的で、多様なものを含む

マリみてで描かれる「姉妹」の多くが恋愛感情もしくは類似のもので結びついているように見えます。例えば「レディ・GO」での祐巳の「お姉さま、凛々しい…!!」の下りなどは恋愛感情に特有の陶酔感を思わせ、微笑ましいです。また、「ロザリオの滴」での志摩子が感じたのは私的な気持ちの純粋さが保てなくなることへの抵抗であり、乃梨子もそれを良く理解していました。
しかし最近では乃梨子志摩子に対して敬慕というにふさわしい気持ちをはっきり感じていますし、祐巳も祥子に対して「お母さん役」をつとめようとしており、当初の未分化な憧れとはかなり違ったものです。まだ年が若く、子供と大人の境界上にある年齢であるからさまざまな感情が入り混じっているのだろうというのはおそらく適切ではありません。
このような複雑な気持ちが出てくるのは、心性の分化と深化がなされてきたのだと言えましょう。マリみてでそれぞれの姉妹の結びつきを端的に表す言葉を見つけるのが難しいように見えます。独特なものだから適切な表現が無いということもあるのでしょうが、多くの場合重層的になっていて、「○○のようでもあるし○○のようでもある」という言い方にならざるを得ないからかもしれません。

"hold"するということ

そして姉妹制度が心性の重層性を促しているとみるならば、それは姉妹制度少々扱いに手こずらざるを得ないようなさまざまな気持ちをうまく抱きかかえ、維持する助けになっているからではないでしょうか。このニュアンスを良く伝えるのは、英語で"hold"という言葉だと思います。抱きかかえる、支持する、…etc.ですが、上手に"hold"し続けることにより安定感を得ることができ、未分化な感情は分化して重層的になっていきます。「白薔薇のためいき」でうっとりと「素敵な方でしょう」という志摩子は、当初からの聖との緊張感のある絆を維持しつつ、やっと今の段階になって安心して陶酔感にひたることができているようです。
ここで"hold"するということが、「押さえ込む」という意味をも含んでいることを合わせて考えたいところです。例えば由乃が令と言い争って、ここでロザリオを突き返したらまた「黄薔薇革命」になってしまう、ロザリオをかけて来なくて良かったと思う場面では、姉妹制度がひとつの歯止めとなって暴走を食い止めるはたらきがあることを示しているようです。また、「ロザリオの滴」では志摩子は一旦制度によって箍を嵌められたようにも見えます。
そして「チョコレートコート」ではぎりぎりまで気持ちを押さえ込む様子が描かれます。「イン・ライブラリー」では浅香と真純のその後までが描かれているのが注目されるところです。浅香と真純は、失敗に終わった姉妹関係の後に取り残された者同士の残滓のような情緒を共有しています。しかし互いを慮っている点で、失望感のみでは終わらないかも知れないというかすかな希望も感じられます。
「押さえ込む」ということは必ずしも良い方向にばかり働くとは限らないものですが、制度を拠り所にしうる要因の一つであろうと思います。不自由さの中から、新たな意味での自由が得られるように思われます。そして周囲との関わりも視野に入れるならば、姉妹制度は一対一の関係を保証することで安心感を与え、そこからさらに外の社会へと向き合う基盤となりりうるものであり、その点婚姻に類似したはたらきがあるのだと言えましょう。
[▽続きます]