瞳子と演劇を中心に⑩

やさしさを引き出す「妹」であった可能性

「B.G.N」ではじめて瞳子に会ったとき、祐巳は祥子の瞳子に対する様子が妙にやさしく見えたことにもショックを受けています。そして瞳子には周囲の者に何らかの感興を呼び起こさずにはいられない、愛らしい素振りもありました。これは何を意味するのでしょうか。
笙子にとって姉のやさしさというのは写真の中にのみ表現され、今後とも姉との現実での関わりはさほど変わらないであろうと思われます。また、克美の目からみた笙子もおそらく可愛げの無い妹のままなのでしょう。「ショコラとポートレート」での情景は互いの思い付きが重なったことで触れ合う機会ができたという偶然によるところが大きく、ひと時の感興には持続性がありませんでした。
ところで祥子に身近な妹のような存在がいたとしたら、その目には「やさしくない姉」として映ったのではないかという想像ができます。「子羊たちの休暇」で分かるように、特別な折にしか息抜きをすることができない様子は克美にさらに輪をかけたような状態です。祥子は長い間心を凍て付かせたような「笑わぬ姫」であり、蓉子などがいたくそれを心配していました。
笙子は写真を見てこんなに姉はやさしくないと言って泣くしかなかったのですが、それは言い方を変えれば姉から本当はあるのかもしれないやさしさを引き出すことがこれまでどうしてもできなかったことを意味します。
しかし瞳子は祥子から「やさしさを引き出す」手段を持っており、それが瞳子自身の快活さや愛らしさではなかったでしょうか。祥子は遠目には多くの人が憧れるような雰囲気を発する一方で祐巳が《無印》で遠くから眺めていた方が幸せだったと思ったように、もっと近接した一対一の関係になると充足した相互依存関係に入れず何らかの齟齬を来たしてしまいます。それは遠くから見ているだけではなかなか分からない面でもあり、ほぼ唯一祥子に立ち向かうようにして付き合ってきたのが瞳子ではなかったかと思うのです。

負の側面に敏感

もちろん瞳子も祥子との狭い二者関係の中のみにあるわけではない以上、瞳子の素振りが全て祥子によって形作られていたとするのは無理があるでしょう。春になるまで祥子が部活に入っていなかったことを知らなかったというのも、互いの交通が実際にはあまり頻繁ではないことも示しているようです。ただ祥子の硬い姿勢、瞳子の快活さはお互いに今自分が生きていない影のような部分であり、笙子と克美のように違いを意識し反発しあう形ではなく相呼び合う関係にあったのではないかと思います。
ここで「瞳子は可愛い妹を演じていた」というのはあまり適切な言い方ではないかもしれません。これでは嘘つき・作り物のニュアンスを伴いますが、むしろやや誇張された直截な感情の表現がなされていたのだと言うべきです。瞳子にしてもさほど意図的にではなく思わずそのように振舞うというものだったのではないでしょうか。瞳子は祥子からやさしさを、そして祥子は瞳子から快活さと愛らしさを引き出し、強化するような力動性があったのだと思います。そして「やさしく相手に対するだけではなく、やさしさを引き出すのもまたやさしさと言えるのではないだろうか」という考え方があるとすれば瞳子の振る舞いは瞳子なりのやさしさの表れです。
瞳子の主観的な見方や感じ方を想像すると単なる憧れの対象ではなく、そのままでは放っておけないような痛ましさをも感じていたのかもしれません。自分には何か足りないような気がすると述べる祥子その人より、身近な他人の方が傷つきを感じてしまう。これは入学当初の乃梨子に対する態度にも通ずるものがあるでしょう。瞳子には他の人があまり見ないような側面に気づき悲しく思うような感受性があり、繊細さは自身の傷つき易さというより先に、外部への共感にあらわれていたと思うのです。

部活に入っていなくてショック ― 瞳子の期待していたもの

その一方で瞳子と祥子の間は既に熟していてそれ以上の変化が期待できず、限界が見えているようなものだったようにも思われます。祥子が何も部活に入っていないことを知ってショックだったというのは、単に一緒に過ごす時間が減ったという以上の意味合いがあったとすることもできます。
瞳子はもともと多芸で全般的に良くこなすというだけでなく、自発的な関わり方からして言わば「芸事の効用」のようなものも薄々意識していたのではないかと思います(なお、後に演劇において瞳子については多分にその効用は発揮されたと考えます)。そして部活というものは、第一義的には「本人が好きでする趣味的なもの」であると言えましょう。遊びの要素が強いものですが、しかしそれ故に堅苦しい生活から距離を置くことができ、しかも本人の楽しみために自分で選んでするものである点、学園の比較的開かれた場の中でするものであることから、習い事よりさらに意味があるものかもしれません。一緒の部活に入ろうと思っていた時の瞳子はまだ何かに特化して打ち込むものを見つけていたわけではなく、およそのことなら自らも楽しみとして祥子に合わせてゆくことができると思っていたのではないでしょうか。
[▽続きます]