くりくりまろんのマリみてを読む日々

可南子ちゃん、波乱の「非」姉妹宣言

瞳子ファンの方、特に祐巳の妹に瞳子を希望する方ごめんなさいな内容です。
瞳子か可南子か、あるいは他の誰かが祐巳の妹になるのか、これまで出てきた材料をいくら吟味したところでどれも確証にはならず、想像ばかりが掻き立てられる今日この頃です。いや「さつさつ」以来とすると随分長い間日干しの憂き目に合っているような(笑)。
その中で、どうにも気になるのが可南子の妹にはなりません宣言です。「さつさつ」から「紅薔薇の妹の不在」に至るまで、姉妹制度を俗なものとして切り捨てるその意思は固いようです。
しかし、祥子・祐巳、聖・志摩子志摩子乃梨子と、現在の視点で描かれたことのある姉妹は皆、どちらか一方が姉妹になることを一回は拒絶していますね。それぞれに理由は似て非なるものなので一緒くたに考えることはできません。しかし共通するのは、簡単に「姉妹」になることの周囲から見た場合の客観的な利点や、さらには自分の事情のみから見た場合の利点をすら打ち消してしまうほどの、何らかの思い入れやこだわりがあることです。これは強い心の結び付きを意識し尊重する故の抵抗であり、だからこそそこに「姉妹」となる契機も含まれていると言えるのでしょう。拒絶する理由と受け入れる理由は同じものに根ざし、それがどう表われているかの違いに過ぎないのではないか、と思われるところです。
齟齬を克服することで、おそらくリリアンに大勢いると思われる他の姉妹よりも固有性のある深い関係が出来上がっていきます。この緊張感は、さまざまな物語が展開される「マリア様がみてる」を固く結び合わせる結節点のようなものではないでしょうか。そのような困難を乗り越えるエピソードがあるからこそ、前後の話もより深みがあり納得の行くものとなると思います。
そうすると可南子の拒絶がはっきりしているほど却って逆の結果になる徴候のように見えるという、おっかなびっくりな心境になります。「特別でないただの一日」では祐巳との関わりでは瞳子と比べて可南子は進展が無かったようにも見えます。しかし夕子との関係を極めて大事にしていたことが知られ、尊重する意思の表白については随分はっきりしていたと思います。やはり可南子にも姉のような存在であった夕子に対して、純粋さを追求する姿勢があるようです。その気持ちが、祐巳に対しても「姉妹」であることを拒否する態度につながっているのではないでしょうか。
僕はどちらが「妹」になっても不幸な人は出てこないと信ずるし、どちらか一方に組しているわけではないのですが。
堅い意思を持つことへの強い支持が、マリみて全体を通して窺われます。瞳子も表れ方は違うのですが、強い意思の持ち主であってその内心はとても興味深いですね。

付記

この項はこちらの項に引継ぎ・差し替えですー ^^;)
可南子と夕子の「姉妹」性
[▽この項終りです]