「特別でないただの一日」③瞳子

瞳子の特徴

瞳子を考えるとき、他の登場人物と共通する特徴や美点を持っているとすると分かりやすいと思います。

祐巳

髪型が類似していて暗示的です。ただ、祐巳の場合は跳ねやすい癖毛をまとめるための苦心の結果で子犬のしっぽのようだと形容されており、純朴さのしるしとして扱われているようです。瞳子の場合は逆に、積極的に自らの魅力を主張する姿勢の表れのようです。祥子を慕っていることはもちろんですが、今まで庇護されるべき立場にあった祐巳としては、下級生の瞳子に自分自身の姿を重ね合わせることも充分可能と思われます。瞳子は祥子に対しては甘え上手であり、祐巳も他人に対して甘え上手なところがあります。

由乃

由乃自身もキャラがかぶる、と言っています。しかしここでは強気さや時に暴走しかかることではなく、夢見がちな乙女とは程遠い、現実に即した見方と判断力を挙げるべきでしょう。何か困難が生じたときにややこしい悩み方をせず、次にするべき具体的な行動を思いつくことができるのは由乃(あるいは乃梨子)です。

祥子

そして何と言っても祥子です。お嬢様気質で時に居丈高であり、上級生に対してもはっきりと物を言う気迫があります。物語の中では悪役を自ら買って出ており、周りから嫌われることを厭わない行動力があります。役割に忠実なのは祥子の一つの特徴ですが、瞳子の場合は役割を楽しむ遊び心があるのでしょう。与えられた役割を楽しみ、それを観客も楽しむのが演劇であるとすれば瞳子のコミットする演劇部の活動に繋がっていきます。祥子は役割に忠実なあまり威圧的になり、周りに緊張を強いる場合がありますがそのとき祥子に欠けているのは瞳子のような余裕の態度です。祥子を快活にしたような、言わば祥子のより適応化した姿というべきでしょうか。

まとめ

そして少なくとも祐巳に対しては随分と鋭敏なところがあり、同時に怒ったような態度が表に出ていることを考えると、
「外面とは裏腹の繊細さを暗示しつつ、人の心を察する敏感さと洞察力があり、現実的な判断力に長けていて自らの筋を通す気力と気概に満ちている」ということになります。何だか賛美しているようですが、そのように描かれているように感じます。

瞳子祐巳は相補う関係

瞳子が現れるまでは祐巳に対する批判者というのは全くいなかった、というのがまず目を引くところです。祐巳も相当悩んだり、祥子から叱責されたりはしているのですが、祐巳のあり方そのものに疑義を差し挟む人物は登場していません。今回も、きれい事など聞きたくありません、祐巳さまのいい子ちゃんみたいなところを見ると腹が立つ、と言っています。
理想を語り、常に最善の結果を目指し、実現してゆく。平凡で取り得がないと自ら主張する祐巳の活躍、きれい事をきれい事に終わらせないところがひとつの面白さです。しかし、これに対して違和感を感じ明言するのが瞳子であり、作品全体のバランスの良さに繋がっています。このようなバランスへの配慮というのはマリみてでは随所に現れており、作品の爽やかさのもとになっているのではないでしょうか。
今までの瞳子祐巳の関わりを考えると、実に祐巳と対照的な人物となっています。最初に祐巳が出会ったときは、祐巳が到底できないような方法で祥子に甘えています。「チェリーブロッサム」では瞳子が活躍している間、祐巳は手を拱いて涙ぐむだけです。祐巳にとって最初は憎むべき相手であり、「パラソルをさして」では、クラスメイトと談笑する祐巳のところにまで喝を入れに来ます。
アニメのOPでは瞳子祐巳は全く逆の方向を向き、しかしぴったりと背中合わせになっていました。象徴的できれいな図です。
三段階に分けるモデルに従えば全く異なる人間同士であり、作品全体の中でも最も端的な組み合わせでした。しかしだからこそ、そこにすでに可能性が隠されていると思わされます。祐巳にとっては瞳子と関わることは自分を客観的に見ることに他ならず、それはおそらく、瞳子にとっても同じことなのでしょう。具体的にはあまり書かれていませんが、祐巳に対していらいらするときはやはり自分とは全く違うあり方を見、考える契機となっていると思われます。そのような文脈で語られてきており、今後もそうなのかも知れません。
祐巳は祥子が休んでいる間瞳子を薔薇の館に手伝い要員として引き込んでいます。この点、瞳子は祥子の事情を知る唯一の人物であるので無視し得なかったのだとも考えられます。さらに「涼風さつさつ」では、何事も祥子を中心に考える祐巳であれば結局間接的に祥子を得るために、祥子と気兼ねの無い関係である瞳子に「祐巳、寂しいわぁ」などと言って媚を売っているのではないか、と勘繰りたくなるところです。しかし、マイナスの感情のままでは残念であると思うその気持ちの中に、上記のようなダイナミズムがあると考えるべきなのでしょう。祐巳は常に開かれた態度が特徴です。少々飛躍した例ですが「チャオ・ソレッラ」ではミケランジェロの壁画に涙する志摩子とキリストが太っていると評する由乃が出てきます。聖と俗との対比が鮮やかですが祐巳にとってはどちらも大切な友だちである、とあっさり片付いています。
それでは祐巳瞳子を通して何か変わったところがあるのだろうかという点については具体的には示されていません。しかし、祐巳瞳子に対する見方は次第に何だか可愛く思われる(「涼風さつさつ」)という見方になり、本巻ではお姉さまの気分まで味わっているようです。瞳子を受け入れていき見方が異なっていく過程が、人に対するイメージを中心とした感情優位の描かれ方の中に表れているのでしょう。[▽続きます]