第十一話・第十二話③

加東景の下宿先で温まってから自宅に帰ったあと、悲しみをまた思い出して泣く姿というのは、激情が迸るような泣き方とはまた異なった風情で、観る者にも沁みてくるようです。
あまり親交のなかったクラスメイトに招かれたミルクホールでは、お互いの距離を推し量りながらの慎重で優しさの感じられるやりとりが描かれます。温かな場面なのですがこの話の寓意を考えると、随分厳しいものを含んでいると思いました。
祐巳はひょんなきっかけからもともとは夢のような世界であった薔薇の館の住民になり、与えられた役割を全うしようとしてきました。周囲も自分も望むような役割に深く関わることは充実した生活を送ることにつながるものであり、事実祐巳には多大の充実感があったと思われます。しかしそれですら、あるいはそれ故に、見落とさざるを得ない側面が出てきてしまうことがあります。限定した立場でしか生きていけない、人の哀しさを表しているようです。
瞳子は突然現れて祐巳を責め、まだ隠された事実があること、そしてまだ祐巳にすべきことがあることを示します。精神的な疲労感はまだ相当なものと思われるところに、追い討ちをかけるようです。
再訪した家での老婦人の弓子の、その人はあなたが選んだほどの人なのだから、という言葉は祐巳の自己への信頼を促して勇気付ける言葉ですが、特に祐巳にとっては原点へ一旦回帰し、そこから立ち戻るようにという意味合いを持つように思われます。祐巳はかつて、賭けの具にされそうになりながら、人となりを良く知らないままに一方的に「妹」にしようとする祥子に抵抗しています。しかしその上で、自らの意志でロザリオを下さいと言うことができ、最後にはそれゆけ、とばかりに決意して祥子の申し出を受けたのでした。選ばれるだけの立場ではない、自らの判断がそこに働いています。実際に選ぶということはなかったけれども、それをなぞらえたような経緯を辿っています。ロザリオの授受が神聖な儀式である理由の一部は、相手を選ぶことの困難さと尊さに由来しており、それは「妹」の側にとっても全く変わらないことでした。リリアンの卒業生であるという弓子は、このような相手を決めるときに生じる機微を良く知っていたと思われます。
このとき、祐巳が祥子に対して「してあげたこと」に無自覚なままであったのは示唆的です。与えるものは何も無いと感じる気持ちは傍目からは心地良い部分もあります。しかし、努力することの動機にはなると同時に、自尊の念を弱めるものだったのかも知れません。健全な自尊心が、溺れることなく関わることを可能にするようです。
加東景の話の中に、「世界を広げる」ことを祐巳は徐々につかんでいきます。乃梨子志摩子に言っていた、世界は二人だけで構成されているわけではない、ということと通じるものがあります。このとき、父が再婚したことが世界を広げることにつながった、というのは喪失体験を伴っている点で祐巳の立場と少し似ています。今はすっかり落ち着いている雰囲気の加東景にもかつて、乗り越えなければならなかった葛藤があったのでしょう。一度喪ってから、新しい見方と距離感を持って捉えなおすことができます。辛いことだけれども、成長には喪失体験が必要な場合があるのかも知れません。そしてその上で、やはり祐巳は祥子を選んでゆくのでしょう。[▽この項終りです]