第十一話・第十二話②

レイニーブルー」から「青い傘」の話の流れは、やや複雑な仕組みを持っていると思います。「レイニーブルー」では祐巳の打ち捨てられたかのような惨めさが強調される一方、祥子に何か事情があったのではと予想させるものになっています。
祐巳の視点から、なるほど落ち込むのは致し方ないと思われる状況が次々と覆い被せるかのように描写されていきます。休日の約束を連続して反故にされ、瞳子と祥子は妙に親しげであり、三奈子からは手を拱いているのは良くないと説かれます。そして、祐巳は必ずしも手を拱いていただけではなく、祥子に対して事情を問い質そうとしており、必ずしも何もしていないわけではありません。むしろ充分にしたのではなかろうか、と思われるところもあります。
そうすると次の展開の予想としては、祥子のよんどころない事情が明らかになって祐巳が安心するということになりそうなのですがそのようになってはいません。聖の手引きで一旦安らぎ、世話になった家への二度目の訪問などを通して、祐巳は一つの洞察を得ながら祥子とは離れたところで起ち直って行きます。そして祐巳の苦悩は、このときに個人的なレベルでほぼ解決されています。いわゆる「レイニー止め」に遭った人たちが、この展開をどのくらい予想し得ただろうか、と思います。「青い傘」では、祥子の祐巳に対する扱いのひどさという事情とは対照的に、祐巳の苦悩はもともと祐巳に内在するものによるものでもあったということが示されます。両者の間に乖離を感じるほど対照的に見えるのは祐巳の視点からのみ物語が進められているからであり、この点が観る者にいろいろ考えさせる仕組みになっていて大変興味深いところです。
悲劇は、ただ仕方の無い外部的な状況に基づくだけではなく、もとから内在していたその人の性質により避けえなくなっているものの方が、より悲劇的に感じます。そしてこの物語では、諸々の事情はありながらも、祐巳にとっても祥子にとってもやはり後者の意味合いが大きかったのだと解したいと思います。
「青い傘」の冒頭では、祥子からロザリオを貰ったときの情景が蘇ります。不釣合いなスールであったと振り返るところで、通奏低音のように常にそう感じざるを得なかったということが示されており、痛々しいところです。これは時々出てくる、祐巳の泣く情景として表れています。
《無印》での泣く情景以来、「ロサ・カニーナ」「ウァレンティーヌスの贈り物」「いと忙し日日」「チェリーブロッサム」では一貫して、我が身の無力さと情けなさをひしひしと感じ、それを持て余して泣いてしまうというものになっています。その都度、何らかの解決がもたらされてはいるのですが、根底にあるものは急には変わりません。それが尖鋭的に表れているのが「レイニーブルー」での情景と思われます。
不釣合いなスールであるということと、祥子にもはや好かれなくなるであろうということは必ずしも等しいものではないはずですが、両者は混交され、同じ色合いを持って認識されているようです。祥子が離れていってしまわないように繋ぎ止めておきたいという、潜在的な不安に根ざした不断の努力がこれまでの祐巳の行動の動機の一部としてあったと思われます。祐巳は祥子に依存しているようだという祐麒の心配は、その不健全さと危険性を薄々と感じ取ったからなのでしょう。
ただ、それは物事の一面であり、特に祐巳が祥子に対して盲従していたり卑屈であったとするのは早計に過ぎるところです。畏れ敬う様子がこれまで強調されていますが、それはもともと祐巳が望ましいと感じる姿を体現するのが祥子であることによります。最初に祥子がピアノを弾く姿を見て一気に憧れたとされていますが、当初のイメージを祥子はほとんど裏切ってはいないのでしょう。また、随所に表われている祐巳の積極性は、健康的で生き生きとしたものであったろうと思われます。[▽続きます]