くりくりまろんのマリみてを読む日々

第七話「チェリーブロッサム」

情緒の世界の展開と緊張感のある物語の展開が融合していた話と思います。情緒はイメージと不可分のものですが、特に日本的イメージが多く登場していました。新たに登場した乃梨子は几帳面に切り揃えた前髪と柔和な眼差しが印象的で、一方瞳子は剃り上げたような眉とやや大仰に跳ねる髪がコケティッシュさを演出しています。薔薇様卒業後の新学期に訪れた新たな出会いは、新鮮さと驚きをもって乃梨子志摩子を見つめ、祐巳が幾分かの嫌悪感と驚きをもって闖入者の瞳子を見るのを中心として描かれることになりました。
満開の桜の木の下で花びらを受け止める志摩子は、遠目に見る祐巳乃梨子からは、桜の美しさの中に身を浸し、一体化しているように見えたかも知れません。山百合会の会合のときは茫洋としていて皆に訝しがられます。しかし祐巳の心配をよそに、志摩子は桜の木の下で聖との思いでと共に悄然としていたのではなく、むしろ生き生きと覚醒し、感覚を研ぎ澄ましていたのだと言う方が適切かも知れません。その姿をたまたま見つけて茫然と見つめていた乃梨子は、そこにいるのを随分前から知っていたかのように志摩子に話かけられます。
桜の美しさについての話になると、それがただ一本だけで咲き誇っているから惹き付けられるのではと、乃梨子は指摘します。志摩子は一瞬驚きますが、しかし強く同意します。乃梨子の勘の鋭さと、二人の心理的布置が似通っていることがここで分かります。志摩子が桜の下に佇むのは、聖との結びつきがあったことを確認し、そして自らを桜の木になぞらえて自己の存在をしっかりと確認するものだったと思います。
志摩子の髪に付いた桜の花びらを取りながら、その顔の造作に見入る乃梨子の目は真剣そのものです。かつて祐巳がピアノを弾く祥子を遠くから見てたちまち憧れたように、自らが潜在的に求めていた理想像が目の前にあることを直感的に了解しています。しかしその理想像は、一方的な思い込みで終わることを拒みます。現実的なやりとりの中で補完され、手許に引き寄せていかねばならないものです。またお会いしましょうという志摩子の言葉に、乃梨子は頷いたのでした。
一方、祐巳は大学にいる聖のところまで相談しに行っています。フットワークが軽いのは祐巳の持ち味でしょうか。ショートにした髪は聖の捌けた性質をさらに強調しているようです。志摩子の様子がつかみどころがなくなっているのも、祥子がとっつき難くなっているのも、一過性のものに過ぎないと軽くいなされて終わります。
薔薇の館に遅刻して祐巳が到着すると、祥子の叱責が待っていました。いつもだったら予想の範囲内の普通の光景だったかもしれません。しかし、新入生で祥子の親戚という瞳子は突然現れ、謝る祐巳の様子をあざ笑い、祥子との仲の良さを強調するのでした。令が来られないので話し合いは結局中止と言われた祐巳は、嫉妬とおそらくは屈辱感も入り混じって目に涙を滲ませます。祐巳の不安を先取りするような忠告をそっと耳打ちして部屋から出て行く由乃を、黙って見送るしかありませんでした。
このとき既に祐巳は、祥子との関係の中にある陥穽に気付かされようとしています。威儀を正すことを重んじて遅刻を厳しく咎めるのは、祥子が祐巳をスールとして認め、扱っていることに他なりません。そしてそのことは祐巳も当然のこととして今までは受け入れていたはずです。しかし瞳子は祥子と縁続きで前々から知っていることを盾にして祥子に易々と甘え、自分は叱られている状態を祐巳は理不尽なものと感じるしかないのでした。祥子との結びつきの中心的なものが、却って壁となっています。祥子との今のスールの関係は、一面的で硬直した部分があるのではないか。そのような問題を瞳子が搦手から突いているのだとも言えますが、祐巳がすぐに適度な距離を取った見方ができるものでもありません。
縁続きなどというのはスールの仕組みを無効化しかねない、厄介なものとも言えるのではないでしょうか。初っ端から祐巳を笑う瞳子はその枠組みからは自由であり、祐巳がそれに縛られている様子を可笑しいと言ったのかもしれません。学園の中では公私の区別をと瞳子に注意する祥子の口調もいつもの徹底ぶりを欠き、ただの優しいお姉さまになっています。親戚と言い張る瞳子に、反発感も露わに遠縁だろうと反駁するのが由乃であるのも興味深いところです。由乃と令はもともと幼馴染で親戚であるため、その仕組みを充分に生かすことができないという不便さに今までさらされてきています。由乃は、桜の季節が過ぎてもどうにもならないようだったら志摩子のことを祥子や令に相談すれば良い、と現実的な判断がすぐにできるようです。しかしこの場面では、もう少し個人的な思い入れがあるのかも知れません。
瞳子から関心が無さそうに学校のならわしを聞いていた乃梨子でしたが、志摩子を再び見かけるとまるで宝物を見つけたかのように時めくのが印象的です。そして休日に趣味のに没頭して訪ねた寺で、志摩子が出迎えるのは大変な僥倖です。志摩子との出会いに驚き、仏像に目を輝かせる場面でも乃梨子の瑞々しい感性が強調されており、もともとリリアンに入る予定ではなかったとひとりごちる冷めた態度をすっかり打ち消しています。
志摩子に嫋やかな手付きで桜の花びらを取ってもらいながら乃梨子はまたしても陶然としますが、このとき志摩子から難しそうな問題をなげかけられます。既に二人は秘密を共有し始めているのでしょうか。一方では祥子と令の志摩子に対する企みのあることが示されており、緊張感が高まったところで一旦幕が降ろされます。
志摩子乃梨子の傍らの双体道祖神は土俗的な佇まいが印象的です。神々しい神の姿というより、優しく寄り添い合って安心しきっている二人の人間そのものを表象していて意味深です。

ちょいと一言

乃梨子が随分と爽やかでしたね。無心に見れば良いという住職の言葉の通り、理屈抜きですぐに仏像の良さに引き込まれていくあたり、芸術家肌なのかなと思ったり。

■次回予告 Transparencyさま制作