くりくりまろんのマリみてを読む日々

第三話「いと忙し日日」

卒業する薔薇さまたちを内々で楽しませるべく、祐巳たちが隠し芸のために奮闘する話です。
書きかけのチョークの線をすぅと引っ張って黒板の前に昏倒する祐巳。担ぎ込まれた保健室のベッドで、再三受けた注意にも関わらず過労で倒れたことを悔いてぽたぽたと零す涙には、哀れを催します。
原因は薔薇様の送る会のための芸の稽古に励み、生徒会としての三年生を送る会の準備にも追われたことですが、そのため張り切り過ぎてしまうというのには祐巳の生真面目さがあります。そして、その生真面目さを祥子が愛してやまないであろうことは想像しやすいところです。祐巳は落ち着きがないと祥子に小言を言われますが、統制を少々欠きながらも強い行動力があることを窺わせます。決して消極的に過ぎるというわけでもなく、努力を惜しみません。自宅で安来節の小道具を祐麒から借り受け、笑いを取るのだと言い張りますが、安来節が滑稽さを主眼にしていることを良く分かっていない節があり、微笑ましいところです。しかも祐麒安来節を、その小道具の出所も含めてかなり忌んでいます。敢えてそれを選ぶ祐巳には、並々ならぬ決意が感じられます。
しかし、祥子の優しさを受け取る資格が自分にはないのだという祐巳の反省の仕方は一通りの筋は通っているものの、謙虚を通り越してあまりにも自らの分を弁え過ぎており、自罰的ですらあります。これはかつて、祥子が自分を本気でスールに選ぶはずがないと思い、ほとんど確信に近い疑いの気持ちに押し潰されて泣き出してしまった姿に良く重なります。別の見方があるのではないかと検討する余裕は無く、情けなさに浸り切ってただ泣くしかないのでした。どうにも動かし難い、小さくまとまった自己像があるようです。
そうは言っても、祐巳にはどんな場合でもフォローが入り、救いがもたらされるのは安心していられるところです。迎えに来た聖にはドリンク剤をあてがわれます。翌日由乃と令には病弱だった頃の由乃と引き比べて共感を示され、好きな人の仕事を変わるのは苦ではないと事も無げに言う志摩子には爽やかさすら感じます。祥子からは様子見の電話が入っていたのですが、もうすぐブゥトンになろうかという祐巳に、負担をかけ過ぎていたのではという反省は、自分もまた責任を負担に思うことがあることによるのかも知れません。頑張らなければと思い自らを追い込んでしまうのは共通しているようです。
終盤において、昔の祥子からは想像もつかない、と江利子に思い出される昔の祥子というのはどのようなものなのでしょうか。これまであまりはっきりとは示されてはいませんが、人は長じてもあまり変わらないものだという感慨と共に、鵜沢美冬の視点から語られたものがあります。美冬は祥子の人を寄せ付けないような冷厳さの中に魅力を感じていたようです。祐巳の場合もあまり変わらないのかもしれません。しかし底の方には暖かさを感じるというのは切なく、少々ロマンチックでもあります。
隠し芸が始まると、およその事情が分かっている祥子は、志摩子由乃の芸を見ながら、聖がはに小言を言います。心の底から笑いたい気分だという聖は、祐巳を通して策略をめぐらし、ありもしない山百合会の伝統として隠し芸を披露させるのに成功させていたのでした。稚気に満ちた成功への喜びと同時に、恥ずかしさなどの犠牲を払っても気持ち良く薔薇様たちを送り出したいのだという祐巳たちの気持ちを汲んでいるのでしょう。
祐巳が出てきて安来節を踊り出すと、少し状況は変わります。聖に、これが俗にいうどぜう掬いというものであると教えられる祥子も、滑稽さを前面に出した芸であることを良く知らなかったのかもしれません。しかし、祐巳の巧みな身振りを今やはっきりと見ます。健気な努力があったことも知っています。そして、祐巳ったらあんなに夢中になってと呆れたように呟き、ついに笑い出します。
この瞬間に祥子は、祐巳の喜びの中に自らの喜びを見出し、そのことを楽しんでいるのではないでしょうか。それはこれから祐巳と苦楽を共にしていくことで、祥子の冷たく凍てつきがちだった心が温かく溶けていくであろうという予想を抱かせるものです。祥子はゆっくりだが確実に変わっているという聖の述懐の通りの物語が、声高には語られないにせよ進んでいくのでしょう。この様子を見て蓉子は、もう思い残すことは無いと思うのでした。蓉子にしても、自分の「妹」の満足の中に自らの満足を見出していたであろうと推測されます。
このようにして、笑いを取るということと薔薇様に安心させた上で卒業してもらうという二つの目標は、当初の目論見とは違った形で達成されます。祐巳たちの預かり知らない要素を含みつつ、しかし十全な形で努力は報われたのでした。

ちょいと一言

・最後の祥子のつぶやきで、物語が一本筋の通ったものになっていると思います。原作は蓉子の視点となっていて祥子がどう思って笑ったのかは描かれていないのですが、なるほどそうであったかと思わされました。
・少し話が先走りますが、この話でみられる祐巳の自己像の低さというのは、レイニーブルーでの落ち込みぶりの中核的で不可欠な要素だと思います。この話での涙に共感できる人はレイニーブルー祐巳が次第に自滅しかけて行く様子も素直に辿ることができ、逆にできない人はレイニーブルーでもあまり釈然としないと思うのですが、どうでしょう。

■次回予告 Transparencyさま制作