第一話 「長き夜の」

実に爽やかな第一話でした。
アニメ独自の構成の妙が窺われました。
小笠原祥子の「妹」になって間もない祐巳の、小笠原邸探訪記となっています。
祥子は気難しいところがあるのが見て取れます。しかしその表面上の態度に反して、小言を言いながらも祐巳に関わるときが実は一番楽しいのではないか、と柏木に喝破されてしまいます。ここが一つの山場です。
本当にそうなのだろうか。今ひとつ得心のいかない祐巳の、お姉さまである祥子のことがまだまだ分からなさそうな様子が初々しいです。その距離感が何ともじれったいようなこそばゆさを感じさせます。同時に祐巳の立場は刺激的でおもしろそうでもあります。
祐巳を引っ張り回す聖は何かと如才なく、硬い理屈で突っかかる祥子とは対照的です。タコ焼きを聖があーんと差し出せば祐巳があーんと応じる。それを見て不機嫌そうな祥子は端正で厳格な「躾」はできそうだけれどもそれだけで果たして大丈夫なのだろうか。そんな心配が出てきますが、足りない部分を補うごとく、祐巳を庇護する役割を聖が果たしていることが伝わってきて安心させられます。
祥子が祐巳にとってまだまだいろいろなものを持っていそうな人だと感じられ、言わば隠蔽の魅力と言うべきものがあるのが知られること、そしてそれがこれから次第に露わになってくるのではという期待を抱かせること、主要メンバーが揃い、およその関係が分かるということは、第一話としての位置づけを明白にしていると思います。
ところで隠蔽されているものを垣間見せることで人物に対する興味を引くのは、物語の技法としては古典的なものです。ここでは祥子の家の複雑そうな事情が聖を通して語られ、正月というめでたい日に秘められた哀しみの感情の存在が示唆されます。これは祥子の人柄になんらかの影響を与えているエピソードなのではないだろうか。そう考えさせられるのは自然の成り行きというものです。
しかし重要なのは、寂しがらせないように皆が集められたのだということが明かされることです。山百合会は、複数のスールの単なる寄合い所帯なのではない。薔薇の名を持つ者同士は確かに仲間であり、その結びつきは慈愛に基づいているものでもあるのだ、ということが分かります。これは話全体の基底にあるものとして、常に必要な視点なのでしょう。
全体的に原作とはかなり違いましたが、クール制をとるアニメとしては、この中で独立して起承転結がつけられなければならないものです。これを見越して取捨選択の上テーマが絞られていたように思われます。そして、原作とは若干違った題材の扱い方、テーマの比重のかけ方があっても当然良いわけです。
終盤に至り、柏木の指摘を裏付けるような、祥子とぴったり並べて敷いた布団の中で聞いた祥子の礼の言葉を、祐巳はじっくり噛み締めます。戸惑うことは多かったが、来て本当に良かった。素朴な喜びの感情が伝わってきます。
舞台は一転し、回想から立ち戻って朝日に照らされるマリア像の前に移ります。春まだ早い鮮やかな緑が目に沁みるようです。時間は大きく飛んでいるにもかかわらず、ここまで多用されてきた祐巳のモノローグは、情感の連続性を保証しています。
そして間髪を入れず、〜春〜の副題の含意を祐巳がお姉さまに対し、そして観るものに対し楽しげに語り始めるのは演劇的な仕掛けであり、ハッとさせられます。和やかな雰囲気の中で、正月の頃より二人の距離はずっと縮まりつつある様子です。「もう」二ヶ月前のことだったと祐巳が言うとき、それほどの大きな変化の中にいるのだ。そんな想像が容易にできる場面なのでした。
時間の流れは残酷、でも輝きが永遠につづきますようにというのはこの世界の登場人物が漫然と生きているのではなく、一瞬一瞬を慈しむような濃密な時間の中にあることを宣言しているのでしょう。

■次回予告